しもっかれ!bar公演企画 vol.6参加作品
家のカギ11.5
『力が欲しいか』
生活のためにたくさん働く女の子。 今日はうるさくて態度の悪いお客さんがたくさん入って大変だった。 テーブルは散々汚されて、食器もとっちらかったまま。
「あぁーもうホント最悪。ぶっころしてやりたい〜」
テーブルを拭きながらそうつぶやいた女の子の頭に直接語りかける声。
「力が欲しいか......」
「......誰?」
「殺したいんだろう、力が欲しーーー」
「あ、そういうんじゃないです」
なんとしても力を授けたい悪魔と、別にいらない女の子(たち)のお話。
【作・演出】
高村颯志(家のカギ)
【出演】
高村颯志(家のカギ) 五十嵐恵美(家のカギ) 山田奈々緒(家のカギ)
原田彩希(劇団24区)
2019年月19日(金)〜21日(日)
@コラボカフェ 渋谷
主宰・高村コメント
再び呼んで頂けたしもっかれ!bar公演。
いつごろアイデアが浮かんだかは覚えていませんが、アイデアが浮かんだときの状況はすごく覚えています。
僕は飲食店で夜勤をしているんですが、机を汚く使って帰るお客さんがまぁ多いんです。
深夜はお客さんがいない、一人で作業をする時間もままあるんですが
ある日、そんな汚い机を片付けながら「あーもう汚い…ぶち殺してやりたい」とつぶやいてしまったことがありました。
そのとき、ふと、
「これ悪魔とかが聞いてて、ぶち殺すための力とか授けに来たら困るなぁ」
と思ったのがアイデアの入り口でした。
入り口というか、それがほぼ全てですが…。
そして今作は久々に、作品作りは議論から始まりました。とは言え悪魔を描くには知識がないということで、稽古初日には設定しかない、ということは避けて、主にキリスト教における死生観、天国と地獄について、悪魔信仰や聖書についてを僕が学んでまとめた上でそれのレクチャーから始めました。
次に、悪魔が力を授けたがる欲への理由付け。
そもそも「力が欲しいか」の元ネタと言われているのは漫画「ARMS」ですが、悪魔が力を授ける、という話は調べてもあまり出てきませんでした。
そこで、参考資料にと思い視聴していた映画「コンスタンティン」から、悪魔と人間のハーフ的存在・ハーフブリードという設定をもらうことにしました。
主人公のジョンはハーフブリードとして繁栄した家庭の末裔で、存在的には悪魔ですが、生まれながらに悪魔であるがゆえに悪魔としてのアイデンティティに疑問を覚えます。
そして、表向きは人間として人間界に暮らすハーフブリードであるジョンは、聖書を読むことになります。その中で神への興味が生まれたジョンですが、悪魔や地獄の者は地獄の業火によって神の顔を拝むことができません。
よって、ジョンは地の者から天の者になることを決意することになるわけです。
そして、映画「コンスタンティン」の設定に寄れば、人間界に干渉できる天と地それぞれのハーフブリードは、そのパワーバランスを守るために人間界で戦いを繰り広げているといいます。その戦いはというと、悪魔側のハーフブリードは人間の耳元で悪を囁きそそのかし、天使側のハーフブリードはそれに対抗する。というようなものもあるようで。
その悪魔のささやきを、「力が欲しいか」という名台詞と重ねることで作品内の整合性、ストーリー性を担保したという寸法でした。
この作品の前の数作品での反省として
「もっとちゃんと作ろう」
という声がユニット内で上がっていたこともあり、まずはそういうバックボーンだったり設定だったりをしっかり詰めた上で創作しよう、という目標があったがゆえのプロセスでした。
ちなみに、なぜここまで露骨に映画「コンスタンティン」の内容を踏襲したかというと、『力が欲しいか』の作中では、映画「コンスタンティン」の監督も実はハーフブリードで、映画で描かれている世界観は紛れもない事実であった、というやむなくカットした設定があったからなのでした。
そしてそこまでできてから、コメディとしての会議を開始したわけです。
いわゆる「悪魔ネタ」の会議。
悪魔あるあるや、悪魔の苦手なもの、「悪魔」というワードに関連するあらゆる事柄へのリサーチなどなど。それによって出てきたのが
・悪魔って「悪魔のおにぎり」とか食べるのかな
→「○○なんですね、悪魔なのに」という悪魔偏見
・悪魔の苦手なものってなんだろう
→国旗、ポーズなどあらゆる方法で十字、聖なるものを与える対魔ネタ
・悪魔・天使というフレーズを使った例えってあるよね
・デーモン閣下が本物の悪魔だったら面白くない?
というようなネタでした。
デーモン閣下については悪魔というワードから連想したんですが、調べてみると、ホームページの年表がすべて悪魔歴で書かれていたり、そういえば「お前も蝋人形にしてやろうか!」で有名な「蝋人形の館」を歌っているぞ、などと湯水のようにネタが出てきまして、、、
ただ、世代などでネタが伝わらないことへの懸念や、尺の調整で、泣く泣く、本当に泣く泣く削ったのでした。
そういえば、冒頭にしか登場しない北沢というキャラクターが語る、自分のアイデンティティに対する認識の話は、まぁその後のバカバカしい展開までに客のガードを緩めるための逆説的手段ではあったんですが、
もともとのオチとしては、主人公・ジョンも含め、キリスト教徒の阿部も、自分をくくっているアイデンティティに関係なく夢を抱くし、アイデンティティに縛られず目的を果たそうとしたりしてもいいよね。という着地点にする予定でした。
結果的には尺の都合も大いにあり、それはカットになりましたが、ライトに出来上がった仕上がりにはとても満足しています。
現状における最高傑作のひとつと言っても過言ではないかもしれません。
越えていきたいものですね。