家のカギ

『EN -境界との対話-』

遠くない未来、人間は、人間と寸分違わぬ姿の未知の存在と出会った。

彼らは人間を脅かす。静かに、大胆に、とめどなく。

地球上から人間が消え、彼らの世界になるのは時間の問題だった。

対抗する手立てもなく、あとがない人間たちは、彼らと自分たちとの違い、境界を知るために彼らと対話することを決意する。

 

国は、生け捕りにした彼らをとある研究所へと送り

個体ごとに拘束し、閉じ込め、1個体につき1名の担当研究員を当てがい、映像記録と監視をつけた状態で、彼らについて知るための対話を実施するよう命じたのだった。

 

 

《エピソード》

 

[A]

研究所所長(男) × 壮年の未知の種(男)

彼らの脅威によって子供を失った、論理的で冷静沈着な所長と、長年人間に紛れて生きてきた聡明な未知の種との核心をついた対話。

 

 

[B]

誠実な研究員 × 怯える未知の種(女)

捕らえられてしまったことに恐怖する未知の種と、彼らに誠実に向き合いながら責務を全うしようとする研究員との対話。

 

[C]

とある作業員(女) × 狡猾な未知の種(男)

担当研究員が席を外している間に通りがかったがために呼び止められてしまったただの作業員と、彼女を利用して研究所からの脱出を試みる若い未知の種との対話。

 

[D]

人でなしの研究員(男) × 唆す未知の種(女)

 

人間の女性と寸分違わぬ姿であることを利用して誘惑する未知の種と、その担当である人でなしの研究員との対話。

【作・演出】

高村颯志(家のカギ)

 

【出演】

《A》坂本七秋

     アンディ本山(ハンバーグらぁめん)

 

《B》梅田優作(重惑[omowaku])

     五十嵐恵美(家のカギ)

 

《C》中原衣里(劇団Q+)

     田中花子(十六夜基地)

 

《D》藤本悠希(劇団肋骨蜜柑同好会)

     久保瑠衣香(W.FOXX)

 

2020年9月10日(木)〜14日(日)

@スタジオ空洞

 

主宰・高村コメント

 

2020年は、家のカギとしては初めて年単位でやりたいことが決まっている年でした。

それがよりにもよって、カフェやバーで、作品世界とお客さんの境界を曖昧にしていく没入・体験型の演劇だったもので、

そして知っての通り2020年はそんな演劇をやっていられる状況ではなくなってしまったわけです。

 

そんな状況で、あらゆることが制限されていくうちに

それぞれが何を大事に演劇作品を作っているのかが見えてきた感覚がありました。

僕や家のカギが大切にしているのは、企画のパッケージの必然性でした。それは、場所や人、時期、状況に対する適切な上演形式で、それが作品内容と矛盾しないこと。個人的には、非常にうまく企画を作れたと思っています。

 

以下、企画書に記載した企画主旨の文面を載せてコメントを終えたいと思います。

 

 

ー ー ー ー ー ー ー ー ー

 

《企画主旨》

新型コロナウイルスの感染拡大によって、数え切れないほどの演劇公演が中止や延期を余儀なくされ始めてからもう随分と経ちました。長くもあり短くもあったようなこのコロナ禍において、今の情勢に伴った変化を遂げた演劇の形式が増えました。

 

そして今、緊急事態宣言が解除され、自粛からのステップを進める世の中で

「今だからこそ」

だとか

「オンラインだから」

だとか

「対策を講じた上で」

なんていう看板を掲げて、元の通りにはいかない状況の中での演劇活動も見かけるようになってきました。思考停止は良くないと思います。動くことも大事です。でも僕はこの潮流がとても嫌いです。

別に「今だからこそ」は毎回考えるべきなのにこんなときだけ、と思うし、その「今だからこそ」は大概が’’工夫’’ではなく’’制約’’に縛られているだけのように思います。もしも新型コロナウイルスなんてものが今世界に存在しなかったとしても、面白い作品を作るために採用するかもしれないような手段で、妥協ではなく会心の一撃の公演をやらなくては「今だからこそ」にはならないんじゃないかと僕は思います。

 

とてつもなく難しいことだというのは承知の上です。でも僕は、妥協しないで考えた結果、今の今まで決定的な行動にはうつせませんでした。

世の中が動き出している中、何かしなければという焦燥感がありながら、それでも妥協はすまいと堪えていたとき、ふと今回の作品のイメージが降ってきました。

それこそ「対策を講じた上で」「今だからこそ」の公演をできるのではないかと、思っています。