家のカギ

『お祈り申し上げます』

 

僕は今、就職面接を受けている。と思う。

面接官は5人。それぞれが自由な服装で、自由な質問をしてくる。

僕は今、就職面接を、受けているはず、なんだけど。

面接官は奔放。志望動機なんかは一切聞かず、僕の人生にばかり興味を持ってる。

僕は今、就職面接を、受けて、いるんだっけ…?

いつ面接会場になんか来たっけ。

 

「それでは、生前あなたが一番力を入れていたことはなんですか?」

 

訪れた者の人生の良し悪しを審議するための面接会場。

そこで語られるのは受験者の人生。

曲者ぞろいの人ならざる面接官と、難ありの受験者たちが交わす

全3話の、答えのない人生審判会議劇?

 

【作・演出】

高村颯志(家のカギ)

 

【出演】

五十嵐恵美 高村颯志 山田奈々緒(以上、家のカギ)

 

秋山拓海 木嶋愛理奈 北原州真 キムライヅミ

長友美聡(:Aqua mode planning:/DULL-COLORED POP)

中村健士郎 野表つばさ(ぱんぷらきっと) 羽田敬之 山田桜子

 

2021年12月23(木)〜27(月)

@GALLERY 2511

 

主宰・高村コメント

 

家のカギが単独で公演を行うのはほぼ一年ぶりでした。

周りを見渡してみると、一年で済んだだけ軽傷だったような気もしますが、ここまで来るのにどれだけ時間がたったか、果てしない想いです。

 

昨年6月に合同公演を終えてから、我々は良いことも悪いことも沢山吸収して、活動に対する意欲が高まっていました。

企画の根幹からコロナを気にせずとも演劇公演が行えると分かったというのも大きかったと思います。

合同公演では作品を沢山の方に評価していただけて、その反面、過程に苦い想いが沢山あったので、反省会と次回公演について話そう、ということになり、家のカギで初めて、企画打ち合わせの為に直接会って打ち合わせをしました。

社会情勢的にも、直接話をすることが減っていたのでいい機会だったと思います。

 

もともと6月に合同公演が終わって、次の公演は年をまたいで2022年の3月に行う予定で、企画内容や企画書、プロットもすでにある状態でした。

そんな中での反省会で、次まで随分空いてしまうねとなり、僕の客演直後にねじ込めば年内にも公演はできるんじゃないか、というところから始まった公演でした。

 

作品の内容自体は、ユニット全員で話し合うことはあまりなく、ここまでしっかり山田が内容の会議に参加したのは初めてだったと思います。

なので今回の作品、実は原案になるアイデアを出したのも山田でした。打ち合わせ当時は、山田の活動を少し活発にするのはどうかという話もあり、役者としてもしっかり作品に貢献してみようかという話もしていました。

 

初めて出してもらった原案を、どうしても作品として面白く成立させたくて、かなり頭をひねりました。

結果的に、構想作業当時の僕自身の体験などを投影して、久々に内在するテーマを描く作品を作る機会になりました。

死生観、恋愛観、家族観、人との繋がり、他人と意見を交わすこと、いろんなことについて考えました。

全体的にはライトな短編集的な作りにして、最終的には人間のエネルギーみたいなものが感じられたら嬉しいなと思って、作品の大きなエンジンをユニット員の五十嵐に任せて、最後はユニット員の山田とやりとりをしてもらうことで、何かしらを消化したい気持ちもあった気がします。

 

初めて作演出をしたときから一貫しているポリシーなんですが、作品を作るとき

 

「結論や教訓を打ち出さない、押し付けない」

 

ということを気を付けています。

作品の立ち上げにあたって、僕自身が持っている結論や考えはもちろんありますが、僕はそれをお客さんに持って帰って欲しい訳ではなくて、楽しかった、面白かった、でいいんです。

ときには、結末を曖昧にしたり、あのあとどうなったんだろう、という形にすることすらあります。

 

今回の作品では、作中でいろんな立場からのいろんな意見が交わされました。でも、どれが正しいと言いたいわけじゃないんです。

共感できた、という感想もありましたし、自分と同じ考えの登場人物が否定されていた、という感想もありました。

どちらも僕としては一向に構いません。誰かの考えを支持したい気持ちもないし、ましてやそこのあなたこそを否定したいなんて思っていません。そんなことは傲慢だし、ポジティブな意味で、あなたの為に書かれたものだなんで思わないで欲しいわけです。

 

現代社会は、親切なフリをして

お互いがお互いに対して「知ったこっちゃない」の精神だと思います。

演劇の上演、観劇、という営みもそうだと思っています。決して悪い意味ではなく。

だからこそ、お互い知ったこっちゃないの環境の中でお客さんが楽しめるものを作るために、内在的ではないテーマを材料にしているんだと改めて再認識しました。

 

それでも、今回みたいな内容が、冗長だ退屈だと言われてしまうなら、演劇はつまらない世界なんだな、と思ってしまいます。

 

 

 

以下に、当日パンフレットに記載した主宰挨拶を掲載して締めたいと思います。

 

 

 

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本日はご来場ありがとうございます。

我々、家のカギという団体は1ヶ月ほど前に5周年を迎えました。

ナンバリングしている公演だけでも今回で17回目になるわけですが、そのうち10回くらいは大学在学中に済ませてしまっているので、我々をご存知の方もそんなに沢山作品がある印象はないかもしれません。

はじめましての方は、はじめましてなわけですから、当然なんのこっちゃだと思います。

でも

人と人が出会うときって、そういうものだなと今回の作品を書いていて思いました。お互いがお互いに知らないバックボーンが当然あって、それによって人となりが違ってくる。それがときにはぶつかったり、理解を得なかったりします。

劇団もそうです。お客様には知ったこっちゃない背景や事情、バックボーンがあって、でもそれはやっぱり知ったこっちゃないわけです。だから、僕はこれまでの作品のほとんどを、努めてエンターテイメントとして書いてきました。身を削って苦しんで書いている、みたいな作家が嫌いです。でも今回は、家のカギとしてはほぼ初めて、僕の中身から材料を沢山探しました。

それは今回の作品が人間のお話だったのと、ここ2年ほど、個人的に苦しみや悩みが尽きなかったからです。実は、長い間、希死念慮も消えません。

なので、僕の考えだとか、意見、経験が沢山投影されていると言えばされています。でも、その上でエンターテイメントにしているつもりです。でも

「僕は普段こんなことを考えています」

「人間ってのはこういうもんだ」

「人生捨てたもんじゃない」

そんな偉そうに断定的な教訓を伝えようと思って書いたものでもありません。

でも、僕が書いてきたコントやサスペンス、ミステリーをよく見ていた方には、印象が違って見えると思います。家のカギに期待していることでは、ないかもしれません。

これは家のカギのごく一部で、僕の中身で、ノンフィクションで、フィクションです。

どうか頑なにならず、ご覧になっていただければと思います。

 

ところで、世はファッキンクリスマスですね。

この作品をご覧になった皆様の帰り道が、少しだけ違って見えたりしますように、お祈り申し上げます。